こんにちは、占い師えむまる.です。
2年前の2024年1月3日のInstagram投稿を最後に、長い間お休みをしていました。
続けていた占いのお仕事は
Popteenなどメディア関連のお仕事と予約の鑑定のみ
SNSなどは全面ストップ。
人生、いろんなことがあるのは誰しもそうです。
私、占い師えむまる.もこの2年は本当にいろんなことがありすぎました。
2年間、SNSをお休みしていた理由
大切な義理の母が大きな病気になり、できる限りの仕事はセーブしようと思ったのがSNSをストップした最初のきっかけでした。
そして手術が成功し少しずつ回復、また仕事のペースを元に戻していこうかなと思った矢先
父が入院し、他界。
母が脳出血で倒れ救急搬送、そしてリハビリ病院への転院、そして三重から埼玉への引越し。
そんなことをしている間に、あっという間に2年が過ぎていました。
父との最後の時間
三重県の実家から『父が入院した』との連絡。
2024年6月に久しぶりに帰省して一緒にご飯を食べたばかりで、そこから1ヶ月しか経っていないのに…。
結果は『膀胱がん』でした。
病院にいてもできることがないからと、施設への移送することが決まり私もその日に合わせて帰省。
私が駆けつけたときには会話をすることもできず、ただ眠っている状態。
『数日前までは歩き回ってた』と聞いていたのに、病棟でコロナが発生し父も感染したそうで、隔離病棟に移動してからあっという間に自分でご飯を食べることも会話をすることもできなくなってしまったそうです。
ひとまず顔も見れたし、『明日、施設への移送が終わったら、また埼玉に戻るよ』と伝えてホテルで一休み。
その夜中、病院から電話が鳴り『できるだけ早く会いに来てください』と。
昼間には『会話などはできないけど状態は安定しているので数時間の施設への移送も問題ないでしょう』って言われていたのに急な異変。
そして施設へうつる予定だった当日の明け方
2024年10月18日04時47分に父はこの世を旅立ちました。
父が教えてくれた、家族への優しさ
看護師さんは『娘さんがいるときに、逝きたかったのね』と泣きながら父に話しかけてくれて、私は涙が止まりませんでした。亡くなるかたは自分がこの世を去る日を自分で決めているとしか思えないことが度々あるんだそうです。
私の実家はとんでもない大田舎。もし父が施設に行けば母はバスで1時間かけて通わないといけなくなる、冬になれば雪で交通機関もままならないだろう、そしていろんな保険を適用しても毎月施設費用で10万以上かかる、そんなことを気に病んだ『父からの母への優しさ』じゃないかなと私は思いました。
父が入院している間も母は、自宅から徒歩で40分かけて駅に行き1時間に1本の電車に乗る。そして駅からバスで揺られること1時間弱、それをパートの帰りに毎日続けていたそうです。
帰りのバスに乗り遅れてしまい終バスがなくなったときは、朝までバス停で座っていた日もあったと聞きました。私が離れた場所で暮らしているあいだ、そんなに大変な思いをしていたんだねと胸がギュッとなりました。
そんな母のことを心配して、父は施設へ行くことを拒んだんじゃないかなと、とにかく家族を一番に考える優しい父だから、家族の負担になりたくなかったのかなと考えてしまうのです。
後悔と感謝、会えるときに会っておく大切さ
亡くなってしまうと『もっと会いにいけばよかったな』『もっと電話でも話をしたらよかったな』と後悔ばかり。
いつまでも、あると思うな親と金 とはよく言ったものです。
今回、施設の移送のために三重に行ったのは、旦那が『行けるときに行っておこう、会えるときに会おう』と言ってくれたからです。その言葉がなければ私は、施設に移送してからゆっくり会いにいけばいいと思っていました。
こんなに実家から離れているところに暮らしているのだから、親の死に目には会えないことは覚悟していると豪語していた私ですが、今となっては父の死に目に会えたことに感謝しかありません。義母のことも心配だったのに、三重に行こうと言ってくれた旦那、本当にありがとう。
こんなに続く…?次は母が救急搬送
そして、諸々のことを終えて埼玉に戻りました。
今度こそ、仕事のペースを元に戻していこうかなと思った矢先
父が亡くなって1ヶ月経った11月26日、パートの休憩室で母が倒れているところを発見され救急車で運ばれたと連絡。
脳の出血が原因でした。
幸い一命は取り留めたものの『体に障害が残る可能性が高い』と主治医から電話で説明を受けいろんなことが脳内で駆け巡りました。
三重の実家は、父が亡くなり、各地のリゾートホテルを巡りながら仕事をしている妹がひとり。
それから母の姉…同じ三重県にいるとはいえ、高速に乗っても2時間はかかる場所。
もし母の生活に支障が出たらどうやって生きていくのだろう…。
そこからはもう毎日が「考えて、電話して、行動して」の連続でした。
母が倒れ、新しい決断
結果だけをさらりと書くと、母と妹は三重県から私が住む埼玉へと引っ越しを決定。
父との思い出もたくさんあっただろうし、お世話になった人や大切な友人などもいるのはわかっていたけど、それでももうそれしかないと思いました。
母の入院している病院を退院したら、さらに3ヶ月間程リハビリの病院へ入院をする必要があると言われ、そのリハビリの病院を埼玉で探しました。
三重の病院を退院した日に新幹線で東京までの長旅、そして私たちと合流し、川越にあるリハビリの病院へそのまま転院。
母は入院してから、長年住んだ家に帰ることもなくそのまま埼玉へと引っ越すことになりました。
本人は『それでいい』と了承してくれていましたが、それがどれほど寂しいことで心細いことだっただろうと思います。
ここからの話はまた別のタイトルでまとめようと思っているのですが、とにかく引越しが本当に大変でした。長年住んだ賃貸の退去に伴い、ヤクザのような不動産屋さんと対峙したり、ドラマのような正義感に溢れた弁護士さんにお世話になったり、そんなこんなでずっとバタバタと過ごしていました。
この話は、退去費用などで同じ状況になって困っている人が少しでも役に立つかもしれないと思うので、絶対に書きます!
この2年で学んだこと、そして再始動
そしてやっと、『今度こそ仕事の量を戻して、SNSも復活できる』となったわけです。
自分の中では『人として成長するために必要だった』と思う時間でした。
人がこの世を去るということ、残されたものたちがやらなくてはいけないこと(現実的な手続きも含めて)、全てが美談やドラマのようなものではない、本当にいろんなことを学びました。
合間の時間を使って、タロットや占星術にまつわる未読の溜まっていた本もたくさん読みました。
知識も経験もパワーアップして、占い師としてもより深みのある回答ができるのではと思っています。
ということでこの2年間の中で起こった『こんなことある!?』という事件、『絶対納得できない!』という怒りの思いなど、不定期ではありますがこの『えむまる.の独り言』カテゴリーで書いていこうと思います。
こんな私のプライベートな話をどのくらいのかたが読んでくれているかわかりませんが、もし最後まで見てくださったかたがいるなら心よりお礼を申し上げます。
また鑑定や講座でお会いできることを楽しみにしております。
占い師えむまる.
【番外編】義母の大病とトイプードル
義母の病気は手術が成功し、無事に退院へと向かうことができました。
とはいえ食生活などが大きく変わり、日々のストレスなどはとても大きそうでした。
詳細はまたいつか別サイトの『予知夢と寝言』に書けたらと思うのですが、ざっくりと書くと『クマさんのような犬が、義母のことを心配してウロウロしている、その子はおーちゃんという名前』というような夢を見たのです。(本当にざっくり過ぎますが…。)
そこで、誰も考えていなかった『犬を迎える』ということについて急に考えはじめます。
インターネットに『クマみたい 犬 埼玉』で検索をすると、本当にクマさんのようなトイプードルを紹介しているブリーダーさんを発見。


そしてなんと『わぁ、この子旦那と同じ誕生日だ。』
もちろんそんな偶然もなくはないでしょう。365分の1で同じ誕生日ではあります。
だけど検索の一番上にヒットしたこの子、なにか縁があるのではないだろうか…と思えてきます。
そして驚いたのは『埼玉』で検索したのに、この子は宮崎県生まれ、宮崎に会いにいかないと譲度はできませんという規定でした。
譲渡が可能というとこで引っかかったのかな…。
ということで埼玉から車で、行ってきました宮崎県。
暖かくていいところでした。
またまたここはざっくりと割愛しますが…そしてその子はやってきました。
そして、本当にその子のおかげで義母は元気になりました。
毎日のご飯やケアなど『自分がやらないと』と思えたことが大きかったのかもしれません。
その子の名前は『おーちゃん』と言います。
これも不思議な話で、うちにいる私の秘書イグアナの『つき』のことを、なぜか義母が『おーちゃん』と呼び間違えていたことがあったんです。1度や2度じゃなく何度も。
その度に『なぜおーちゃん??その名前は一体どこからきたの?』と笑い話になっていたのですが、それが何年もあとになり新しく迎えたトイプードルの名前だったのです。
そのときは知るよしもない話なので、これも一種のシンクロニシティーなのかもしれませんね。
ちなみに小さいときは真っ黒のおーちゃんでしたが、毛色はシルバーなのでこのあとどんどん白い毛になっていきます。
今は『やどりぎstone』のマスコットキャラクターでもあります。
やどりぎstoneの公式サイトも現在鋭意製作中ですので、完成したらおーちゃん共々、見に行って見てください。
それではこれで号外も終わりとさせていただきます。
ありがとうございました★



